京都地方裁判所 昭和43年(ワ)1256号 判決 1970年10月20日
原告
山内一夫
被告
松居造
主文
被告らは原告に対し各自金三三万九二一〇円及びこれに対する昭和四三年一〇月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告らの負担とする。
この判決は一〇万円の担保を供託して仮に執行することができる。
事実
一、原告訴訟代理人は、「被告らは各自原告に対し金八五〇、五〇四円およびこれに対し、訴状送達の翌日である昭和四三年一〇月四日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告らは、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
二、原告訴訟代理人は、請求の原因として次のとおり述べた。
1 事故の態様と被告太一郎の過失
被告松居太一郎は昭和四二年五月六日午前九時一五分ごろ、軽四輪自動車京八に四五八八号(以下被告車と略称する)を運転して、京都市上京区堀川通下長者町下る道路を先行南進中の原告運転の自動車(京五い五一―九〇)(以下原告車と略称する)に追随して南進中、前方不注視、車間距離不保持、不適切な停車措置等の過失に因り、原告が、原告車の進路前方に現われた通行人との衝突を避けるため停車させたとき、これに被告車を追突させて、後記の損害を与えた。
2 前記の通り被告太一郎は民法七〇九条により、又被告造は、被告車の所有者であり、その経営する旅館業のため運行の用に供していたものであるから自賠法第三条により何れも原告に対し後記損害を賠償する責任がある。
3 右事故により原告は頸部捻挫の傷害を受け以下の損害を蒙つた。
(一) 治療費等
(イ) 相馬病院へ支払つた診療費 五、二一〇円
(ロ) 大和病院へ支払つた診療費 一二八、〇一七円
(ハ) 京都工場病院で受けた精密検査の検査料 四、九五〇円
(ニ) ギブス代 三、三五〇円
計 一四一、五二七円
(二) 逸失利益
(1) 平均賃金によつて算出できる損害
原告が昭和四二年三月一七日、興進タクシー株式会社に雇われて本件事故発生の日まで勤務した実績によつていわゆる平均賃金を算出すると一日分が二、一七六円である。そして、同年四月分の実収入は六五、二九四円である。
(イ) 休業期間八五日間に失つた収入は、一八五、九六〇円であるところ、労働災害補償としてその六〇%に相当する補償金を給付されたので、右金額の差額金七三、九八四円が実損害額となる。
(ロ) また、本件受傷の苦痛に耐え病院通いをしながら就労したため収入減を来したが、その減収額は右四月分の実収入を基準として算出すると次の通りである。
<省略>
(2) 受傷休業のため本雇になるのが遅れたりして、夏期手当又は年末手当を支給されなかつたことによる損害額
(イ) 夏期手当相当分が一二、五七四円
(ロ) 年末手当相当分が五三、四二六円
(三) 精神上の損害
(1) 原告が被つた傷害が長期にわたる診療を要したのみでなく、幾分の後遺症を伴う結果が明らかとなつたこと。
(2) 原告の業務の性質上心神ともに十全の健康状態の維持が特に必要であること。
(3) 後遺症が若い原告の長い将来にわたり、精神上の苦痛となること。
(4) 原告の全責任である家族の扶養につき今後も三三年間位原告の十分な勤労が望ましいこと。等の事情を考慮すると、五〇〇、〇〇〇円が相当である。
(四) 弁護士費用
原告がこの訴を提起しなければならなかつたため、訴訟代理を委任した弁護士に支払わなければならない損害額。
(1) 既に弁護士前堀政幸に支払つた着手金五〇、〇〇〇円
(2) この訴の第一審判決を得た時同弁護士に支払うことを契約した謝金五〇、〇〇〇円
計一〇〇、〇〇〇円
4 原告は本訴提起までに被告らに対し、損害の賠償を請求したところ、被告松居造は原告が休業によつて失つた収入に相当する損害の内八四、八八〇円を原告に支払つた。
5 そこで原告は被告両名に対し、前述の損害額合計九三五、三八四円から被告松居造から既に受領した前述の賠償金八四、八八〇円を控除した八五〇、五〇四円および本訴状送達の翌日よりこれが完済にいたるまでの支払遅延損害金の支払を請求する。
三、被告ら訴訟代理人は、請求原因に対する認否として、事故発生の事実、被告松居造が被告車の所有者でその運行の用に供していたものであること、原告が休業していたことは認めるが被告太一郎の過失、原告の傷害結果は否認し、損害額については争う。と述べた。
四、次に抗弁として
(1) 本件については既に示談契約が成立している。すなわち、昭和四二年五月二五日、原被告ら間には「被告らは原告に対し原告の休業補償、示談金、車両修理代を一切含めて金四六、一四〇円を支払い、今後本件に関しては、いかなる事情が生じても異議を申立てないこと」とする示談契約が成立し、右、示談金は被告らにおいて原告に対し支払済みである。従つて、被告らは、原告の請求に応ずる必要はない。
(2) さらに、右示談金の追加として五〇、〇〇〇円を弁済している。すなわち、昭和四二年一一月下旬、被告造の経営する「清滝荘」において訴外興進タクシー株式会社主催の宴会があり、その飲食代金一七〇、〇〇〇円余りを右訴外会社が支払うべきところ、同会社の事故係長枯木種敏が清滝荘支配人今林徳三郎に対し、同会社の被傭者たる原告へのさきの示談追加金として右支払代金のうち五〇、〇〇〇円を差引いた。
(3) 仮に、被告太一郎に過失がある場合は過失相役を主張する。すなわち、先行車の原告運転の車と被告太一郎運転の車との車間距離は五メーメルの間隔があつて適当であつたが、原告車は左側の乗車客あるを認め何等の合図をする事なく急停止したのであつて後続の被告車は急ブレーキを踏んだが及ばず追突するに至つたのだから、原告にも過失のあることは明白である。
五、抗弁に対する認否として、原告訴訟代理人は抗弁事実は全部否認すると述べた。
六、さらに、再抗弁として原告は以下の如く述べた。
(1) 被告らの主張する示談契約は、原告の勤務する興進タクシー株式会社の事故係枯木種敏が、同会社が原告に支払つた休業補償金や車両損害金を請求する目的で何ら原告に相談せず、無権限になした行為にもとづくものである。
(2) 仮りに右示談契約が成立するとしても、以下の事情によりその後増大した損害にまでおよばない。
右示談は本件事故から約二〇日後に原告の健康状態が回復したかの如くみえ、就労すら可能な状況にみえたため、原告の右健康状態を基礎とし、傷害の結果が回復したものとして、なされたものである。ところが予期に反し、右示談の数日後より原告の健康状態は再度悪化し、肩こり頭痛等の後遺症が判明したものである。従つて原告の示談をした日以後に判明した損害はいづれも右示談当時には予想し得なかつたものである。
六、証拠関係〔略〕
理由
一、(事故の発生)
本件事故の発生事実は当事者間に争いがない。
二、(責任原因)
1 被告太一郎の過失について
〔証拠関係略〕を綜合すれば、本件事故発生当時、雨が降つていて道路がぬれていて滑り易い状態にあつたことが認められる。この様な場合、先行する原告車に追従する被告太一郎としては、適当な車間距離(路面がぬれていて滑り易い事を考慮した上)を保ち、充分前方を注視して前車が急停車することがあつても直ちに停車して前車との衝突を避ける措置をとるべき注意義務があるが、後述のように原告車の急停車に即応して停車することが出来ず、これに被告車を追突させた過失により本件事故を発生させたものであるから、原告に損害賠償責任を負う。
2 被告造の運行供用者としての責任については、之を争わないところである。
三、(過失相殺)
〔証拠略〕を綜合すると原告は当時空車を運転し下長者町の交差点の信号灯が青になつたので発車し、横断歩道(東西)を渡つて、五~一〇メートル進行したときに左側歩道に乗客らしきものを認めたのでやや歩道寄りに急停車した、その時は左折の合図はしていなかつた。しかし前述の通り当時は雨であり、後続の被告車が僅か五メートルの車間距離しか保つて居らなかつたので、スピードは二〇キロ位ではあつたが、急ブレーキを踏んでもスリップのため間に合わず追突するに至つたことが認められる。そうすると、原告の急停車はその主張のように人が飛出したために衝突の危険を避けるためのやむを得ない行為という事が出来ず、客を拾うための停車であるから後続車の有無、それに対する合図等、衝突を避けるための措置を講ずる義務があり、之を怠つたために本件事故が惹起したものと認められ、その過失の割合は原告二割、被告八割とするのが相当である。衝突箇所について原告本人の供述では、下長者町の信号機より南方百メートル位の所と述べているが、〔証拠略〕に照し信用出来ない。
四、(示談契約成立の有無)
次に、被告らは将来発生する損害について請求権を一切放棄する旨の示談契約が成立していたと主張するのでこの点につき判断するに、〔証拠略〕によれば、当時訴外枯木種敏は事故係として、原告の暗黙の意をうけて被告造と本件事故につき交渉をした経過がみうけられ、原被告ら間に被告ら主張の様な示談契約が締結されたこと、また、その際、右枯木が原告に代つて治療費等として四六、一四〇円を受けとつた事実が認められる。右認定に反する〔証拠略〕は信用できないし、他に、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
五、(示談契約の効力について)
原告は、次に右の如き示談契約が成立しているとしても、当時予見できなかつた後遺症が発生したから無効となる旨主張するのでこの点につき判断する。
〔証拠略〕によれば、同人が原告に代つて示談契約を締結した昭和四二年五月二五日当時、同人は原告の傷は二週間ほどの通院で治る軽いものであると思つていたこと。また、〔証拠略〕によれば、被告造も同人の支配人で当時事故の交渉をしていた訴外今林徳三郎から事故が軽微で大したことはないということを聞いていたこと、〔証拠略〕によれば、原告は示談契約締結当時、いつたん仕事をしだしたが、再び休業して同年八月三一日まで病院通いを始めたこと、また、昭和四三年二月一二日以降六月一八日までの間就業しながら通院したこと、〔証拠略〕によれば、示談契約は事故後間もない昭和四二年五月二五日に締結されしかもその金額は車の修理代も含めて四六、一四〇円であつた。以上の事実を綜合すると本件示談書の放棄条項が文言上は爾余の一切の請求権を放棄するものであるが、示談の際損害の大体の範囲が軽微なものと暗黙裡に想定されており、後に生じた損害は右の範囲を著しく逸脱していて、当初の示談金に比して甚だ均衡を失するに至り、結局、前記示談契約によつて、その後の損害全部をカバーするものとすることは当事者間の信義公平に反すると認められる。従つて、当該示談における放棄条項は後の損害には及ばないものとして限定的に解釈することが相当である。
六、(原告の受けた損害)
(一) 治療費等
〔証拠略〕の結果によれば、原告は、大和病院へ治療費一二八、〇一七円、京都工場病院での精密検査の検査料四、九五〇円、ギブス代三、三五〇円を会社が立替えて支払つたことが認められる。なお、相馬病院への治療費は、先に認定した示談契約の際支払われた金員のうちに含まれているので控除する。従つて、治療費等の総計は一三六、三一七円となる。
(二) 逸失利益
〔証拠略〕によると、原告は、事故発生の日である昭和四二年五月六日から同年八月三一日までの間に八五日間の休業を余儀なくされ、よつて、同期間中の賃金を得られなかつたのであるが、うち、示談成立の日である同年五月二五日まで二〇日分は、示談成立の際、既に受領しているので差し引くと、その逸失利益は次のとおりとなる。
(イ) 原告が昭和四二年三月一七日興進タクシー株式会社に勤務して本件事故発生の日まで勤労した実績によつていわゆる平均賃金を算出すると一日分は二、一七六円となる。そこで、休業期間六五日間に失つた収入は一四一、四四〇円であるが、労災補償としてその60パーセントに相当する補償金を給付されているので、右金額の差額五六、五七六円となる。
(ロ) 休業のため本雇になるのが九月二〇日に延期された結果、夏期手当、年末手当を支給されなかつたことによる損害額を原告と同等の地位にある自動車運転者に支給された各手当の実例に準じて計算すると次の様になる。
(A) 夏期手当相当分 一二、五七四円
(B) 年末〃 五三、四二六円
なお、他に原告は病院通いをしながら就労したため正常な収入に比して(昭和四二年四月分)収入減を来したとして、その減収額を請求するが成程、収入減を来した月もあるが、逆に増収している月もあるから、結局、収入減は、果して、本件事故と相当因果関係にあるのが極めて疑わしい。従つて、この点の原告の請求は失当である。他にこれを覆えすに足りる証拠はない。
(三) 慰藉料
本件証拠上、受傷に関する医師の所見は単に頸部捻挫と出ているだけでその程度、診療内容は明らかでない。そこで、右治療に要した通院実数、本件事故の態様等を勘案すると右受傷に伴う精神的苦痛に伴う慰藉料は二〇万円をもつて相当とする。
(四) 損益相殺について
〔証拠略〕によると、昭和四二年一一月下旬被告造の経営する「清滝荘」に於て、原告の所属する興進タクシー株式会社の従業員約五〇人が宴会をなしその代金一七万円の内五万円を示談追加金として会社が差引、支払を免れることにより受領した事が認められるから、当事者間に争いのない休業補償費八万四八八〇円を被告造より原告に支払つているので合計一三万四八八〇円は、以上の損害より差引かれるべき金額である。
(五) 弁護士報酬
〔証拠略〕によれば、原告は原告訴訟代理人に本件訴訟を委任するに際し、着手金五〇、〇〇〇円を支払い、成功報酬五〇、〇〇〇円の支払を約したことが認められるところ、本件事故と相当因果関係ある損害と認定すべき額は、上記本件事故の態様に照らすとき、着手金報酬を含め八万円を以て相当とする。
七、(結論)
してみれば、原告の本訴請求中治療費休業補償逸失利益及慰謝料合計四五万八八九三円から損益相殺として前記(四)の一三万四八八〇円を差引いた三二万四〇一三円に前記三の過失割合の二割を差引いた二五万九二一〇円と弁護士費用八万円を加えた三三万九二一〇円とこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四三年一〇月四日以降完済まで民法所定の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、訴訟費用につき、民訴法九二条、九三条一項担書、仮執行の宣言につき同法一九六条により主文のとおり判決する。
(裁判官 山田常雄)